シックハウス症候群や化学物質過敏症の原因物質
《ホルムアルデヒド》
ホルムアルデヒド(HCHO、CAS No 50-00-0)は、別名メチレンオキシド、メタナール、メチルアルデヒドともいい、強い刺激臭のある可燃性の無色の液体です。ホルマリンは一般にホルムアルデヒドの37%水溶液であり、重合阻止剤としてメタノールが5〜13%程度添加されています。ホルムアルデヒドは建築・農業・医療・製薬・ゴムなどの化学製品の合成中間体として重要であり、フェノール、尿素などと共に各種の樹脂原料としても広く用いられています。住宅建材にはホルムアルデヒド−尿素断熱材が多く使用されており、呼吸器感作や過敏症が問題になることもあります。染料・インキ、医薬品、消毒剤、保存料、皮なめし、生物組織の防腐剤などの用途があります。
【体内動態と症状】
ホルムアルデヒドは呼吸器や腸管から容易に吸収されます。主な代謝経路としてはギ酸へ酸化、さらに代謝を受け二酸化炭素となり呼気中に排泄されます。ばく露組織ではタンパク質と付加体を形成し、DNA-タンパク架橋結合を生じることもあります。
ホルムアルデヒドの嗅覚閾値は約0.05〜0.06ppmですが、これより低い濃度でも眼刺激を感じる人もいます。一般に0.5ppm以上で眼、気道に刺激を感じ、2〜5ppmでくしゃみ、咳、催涙作用を及ぼします。10ppmではこれらの症状が増強、咽頭痛、呼吸困難が出現し、50ppm以上では肺炎、肺水腫が生じて死亡することもあります。ホルムアルデヒドは皮膚・粘膜に対し刺激性があり、接触箇所に皮膚炎や褐色化をきたします。眼に直接入った場合には結膜炎、角膜火傷や失明もありえます。
ホルムアルデヒドへの感作性はよく知られており、フェノール樹脂を使用する工場で含まれているホルマリンにより皮膚炎を生じるケースや、ホルムアルデヒドを含む化繊の衣服やギプスの着用による皮膚炎の報告もあります。
最近ではホルムアルデヒド含有の建材によるシックハウス症候群の発生も注目されています。動物では変異原性が疑われています。
【中毒の予防・検査】
ホルムアルデヒドは特定第3類物質で、日本産業衛生学会の許容濃度は0.5ppm、ACGIH(アメリカ労働衛生専門家会議)の許容濃度(天井値)は0.3ppmです。しかし、近年ではこれよりはるかに低濃度でも建材などから室内へ発散されるホルムアルデヒドなどの化学物質により眼、鼻、喉の刺激、頭痛などの多彩な症状を生じる"シックハウス症候群"が問題になっています。
このため厚生労働省は「室内空気汚染に係わるガイドライン」(連載8、化学物質過敏症を参照)と「職域における室内空気中のホルムアルデヒド濃度低減のためのガイドライン」を示し、室内空気の測定が行われています。室内ホルムアルデヒドの測定はパッシブサンプラーにより簡便に測定することも可能です。室内ホルムアルデヒド濃度の指針値は0.08ppm、特定作業場では0.25ppmとなっています。
病院の病理検査室もこの特定作業場に含まれます。従来の医療機関の病理検査室ではホルムアルデヒド濃度は平均的に0.25ppmを超え、高いところでは1ppmを超す報告があります。最近では換気設備などが改善されたため、病理検査室のホルムアルデヒド濃度も低減化しつつあります。
《トルエン》
トルエン(C6H5CH3,Cas No 108-88-3)は別名メチルベンゼン、トリオールとも呼ばれる芳香族化合物で、無色透明、芳香がある揮発性有機溶剤です。蒸気圧36.7mmHg(30℃)、引火点4℃と引火性が高く、トルエン蒸気は空気より重く、低所に滞留しやすい。比重は0.9で水に不溶、エタノール・エーテルと自由に混合します。
塗料溶剤やシンナーとして用いられるだけでなく、染料・合成繊維などの原料および溶剤、爆薬・医薬品・香料・トルエンジイソシアネートの製造、石油精製などに広く使われています。トルエンは脂溶性で揮発性が大きいため、吸入や皮膚接触により容易に吸収されます。
【中毒の予防・検査】
「有機溶剤中毒予防規則」によりトルエン(またはトルエンをその重量の5%を超えて含有するもの)は第2種有機溶剤に指定されており、作業環境の測定が行われます。健康管理としては特殊健康診断が義務づけられています。トルエンの管理濃度、許容濃度はともに50ppmです。健康診断項目は、「1.シンナー・有機溶剤」で述べましたのでご参照ください。
このほかにトルエン作業者には、必ず実施しなければならない検査項目として「尿中の馬尿酸の量の検査」があげられています。この検査結果は分布区分に分類され、ばく露状況の把握に利用されます(生物学的モニタリング)。
《馬尿酸の分布区分》
馬尿酸の評価では分布1は1g/l以下、分布2は1.0〜2.5g/l、分布3は2.5g/l超となっています。検査のための採尿は尿中濃度が最も高値を示すと考えられる時間帯に行われます。作業日が連続している場合には最初の日を除いたいずれかの作業日の作業終了時に採尿することになっています。注意すべき点は、馬尿酸の半減期は数時間と短いので、ばく露後時間が経過すると著しく減衰し、翌朝にはばく露のない濃度に戻ります。
トルエンばく露のない人でも一般の食品由来の馬尿酸が尿中に検出され、安息香酸を含む物質(すもも、清涼飲料、感冒薬の一部など)を摂取している場合には高値となることもあります。
また、尿中馬尿酸濃度は尿の濃度によっても変動しますので、ACGIH(アメリカ労働衛生専門家会議)ではトルエンの許容濃度(50ppm)に対応する尿中馬尿酸濃度(生物学的許容値)はクレアチニン補正して1.6g/gクレアチニンとしています。日本産業衛生学会ではトルエンの生物学的許容値として血液中トルエン濃度(0.6mg/l)と尿中トルエン濃度(0.06mg/l)を提案していますが、後者には検体保存の難しさなどの問題がありますが、定性的には有用と思われます。
《多種化学物質過敏症》
化学物質過敏症は極めて微量の化学物質に接触することにより多臓器異常の臨床症状が誘発される状態です。類似の症状は住居の新築、改築などでも起こり、シックハウス症候群と呼ばれています。
これらの症状の原因としては多くの化学物質があげられていますが、主なものにホルムアルデヒド(建材、壁紙、家具など)、パラジクロロベンゼン(防虫剤など)、トルエン・キシレン(塗料)、有機リン化合物(農薬、シロアリ駆除剤など)などがあります。
化学物質過敏症の症状は多彩であり、粘膜刺激症状(結膜炎、鼻炎、気管支炎、喘息)、皮膚炎、循環器症状(動悸、不整脈)、消化器症状、自律神経障害(異常発汗)、精神症状(不安、不眠、鬱状態、記憶困難、集中困難)、頭痛、発熱、疲労感などがあります。化学物質過敏症の発現機序は複雑ですが、(1)単一または多種類の化学物質への1回の高濃度ばく露または低濃度ばく露の反復により多種類の化学物質に対する耐性の喪失、(2)その後の低濃度ばく露による多臓器にわたる症状の発現の2段階が考えられています。このような意味で多種化学物質過敏症(Multiple chemical sensitivity:MCS)とも呼ばれます。
【健康障害と診断】
上に紹介した事例のような症状には化学物質過敏症やシックハウス症候群と考えられるものがあります。産業中毒センターへ寄せられるこのような相談には当院シックハウス科を紹介するとともに、当センターでは起因物質と考えられるものの検査も検討することとしています。
低濃度の化学物質による健康影響としては化学物質過敏症やシックハウス症候群の他、アレルギー、化学発癌が知られています。また最近では環境ホルモン(ダイオキシンを含む)などの低濃度化学物質による健康影響が話題になっています。アレルギーは蛋白質などの高分子物質が抗原となって抗体が体内で生じるもので、花粉症やアトピー性皮膚炎など眼、鼻、上気道、皮膚などの粘膜症状が中心となる場合が多いのですが、化学物質過敏症では頭痛、めまい、集中力障害などの多様な神経症状を呈するとされています。
化学物質中毒は比較的高濃度ばく露で起こるもので、原因物質の量と症状との間に明らかな対応があり、(1)閾値と(2)量−反応関係が存在します。これに対して化学物質過敏症は中毒発現の閾値よりはるかに低いばく露量で発症し、原因物質と症状が多彩で個人差が大きいのが特徴です。アレルギーやいわゆる中毒と区別して、過敏症やシックハウス症候群を診断するためにはクリーンルームで特別な検査が行われます。
【室内空気汚染対策】
化学物質過敏症の予防や治療には特異的なものはなく、発症しないためにばく露を低減化することが唯一の対策とされています。このため政府は過敏症予防のための種々のガイドラインを示すなど対策をとっています。
(1) 厚生労働省はこれまで13物質について室内空気汚染の指針値を示しています。これは人が一生涯ばく露しても健康への有害な影響を受けないであろうと現時点で考えられる値です。これらの数値は日本産業衛生学会の許容濃度(トルエンの場合は50ppmなど)に比べれば著しく低いものです。
(2) 職域における屋内空気中のホルムアルデヒド濃度の低減化のためのガイドラインも3月15日に労働基準局から出されています(本誌4月15日号参照)。それによれば事業者は濃度の測定、低減化のための措置、就業上の措置、相談支援体制の活用などの努力をすることとなっています。
(3) 職域でのシックハウス症候群や化学物質過敏症の診断と治療を目指して東京労災病院に環境医学研究センター(シックハウス科)が開設されています。
《室内空気汚染の指針値》
(1)ホルムアルデヒド(80ppb) (2)トルエン(70ppb) (3)キシレン(200ppb) (4)パラジクロロベンゼン(40ppb) (5)エチルベンゼン(880ppb) (6)スチレン(50ppb) (7)クロルピリホス(0.07ppb,小児では0.007ppb) (8)フタル酸ジ-n-ブチル(20ppb) (9)テトラデカン(40ppb)
(10)フタル酸ジ-2-エチルヘキシル(7.6ppb) (11)ダイアジノン(0.02ppb)
(12)アセトアルデヒド(30ppb) (13)フェノカルブ(3.8ppb)